建替え実績

宮益坂ビルディング
建替え事業

理事長・副理事長インタビュー Vol.1
居住率の低い区分所有者、借地、
複雑な登記。難問ばかりだった当時を
振り返っていただきました。(2016.02)
(右)理事長 ウレマン・フレッド様
(左)副理事長 島野幸司様
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宮益坂ビルディングは、当時としては、非常に豪華なマンションでした。

ー宮益坂ビルディングの歴史について教えてください。
フレッド様:戦後まもない昭和28年(1953年)、東京都の土地の上に間組(現・安藤ハザマ)が造った建物です。当時としては、非常に豪華なマンションで、エレベーターガールもいらしたし、1階には電話の交換台もありました。今で言えば億ション的なものでしたね。

ー当時の渋谷の風景は、どのようなものでしたか?
島 野 様:今、渋谷にはヒカリエが建っていますが、以前は東急文化会館という建物でした。その後ろには小さな飲食店ビルが並んでいて、お昼時にはたくさんの小さなお店に、人が吸い込まれていくような風景でしたね。

  • 1953年竣工当時の宮益坂ビルディング
    出典:白根記念渋谷区郷土博物館

居住区分所有者の減少が、管理組合運営にも影響。

ー理事長、副理事長に就任された経緯をお聞かせください。
フレッド様:ここの理事会は普通のマンションと違って、輪番ではありません。選挙で決めています。全員が選挙人であり、被選挙人でもあるという中で、たまたま私たちが選挙で当選してしまったんです。当選順位で理事長、副理事長が決まって、それからずっとやっています。輪番の場合、「この部屋が今年理事をやったら、来年は隣の部屋が理事をやる」という方式ですよね。でも、毎年変わってしまうと、誰も「長期計画を考えなくていい」ということになってしまう。このビルの場合は選挙ですから、毎年選挙で当選すれば理事として長期計画を考えていくことになります。

ー管理組合運営でご苦労されたことはありますか?
島 野 様:このマンションは、住んでいる方が非常に少ないんです。今住んでいるのはお一人ですが、少し前はほんの数人という状況でした。ですから管理に対する意識が薄く、また1つの問題が起きたときの解決策が、限られた人間に集中するという問題があります。そうした状況は、運営しやすい部分と、運営しにくい部分の双方で難しい部分がありました。

  • 旧・宮益坂ビルディング

底地購入のための交渉や、「幽霊権利者」など、難題ばかりでした。

ー建替えの経緯と、ご苦労された点を教えてください。
島 野 様:最初は建替えではなく、「宮益坂ビルディングを考える会」というのができました。もう25年ぐらい前ですかね。それが建替えの発端です。全員がこのビルに住んでいるのであれば、自分の身近な問題として「解決したい」という気持ちになると思うのですが、なかなか問題の切実さが伝わりづらいという難しさはありましたね。建替えをまとめるまでに、ビルとして解決しなければならない部分が山積みでした。まず、1つは自主管理だったことです。多くの人がここに住んでいないものですから、非常に情報が偏ってしまうんです。そこで、管理に関する情報がガラス張りになるように、委託管理に切り替えるというのが、最初の大きな難問でした。
あとは管理規約の改定です。管理規約の改定と委託管理に移行するのは、1つの大きな節目だったと思います。借地だったので東京都から土地を購入する交渉や、登記が複雑になっていることも問題でした。例えば、以前の所有者の権利が、共用部分や共有部分に残っているケースもあって、それを整理する必要があったんです。少し振り返っただけでも、かなりの難題が多かったですね。
フレッド様:ただし、底地購入ということに関しては、東京都も応じてくださって、スムーズに払い下げができました。そのとき、組合員が本当によく協力してくださったなと思います。権利関係の調整については、我々が「幽霊権利者」と呼んでいた、その存在が問題でした。専有部分はいいのですが、廊下の部分の権利を持っていた…など、場所によって権利が残っているような状態だったんです。「じゃあ、その人はどこにいらっしゃるの?」と探してもわかりません。存在しない人の名前を登記簿から消さないと、その後の権利返還のときに問題になりますから。そういった権利関係の調整や整理はかなり大変でした。

  • 旧・宮益坂ビルディング

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