「4団地理事長」座談会

野毛山住宅建替えの場合

横浜市で初めて「マンション建替法」を適用した野毛山住宅。

インタビューのポイント①

間取りや設備の陳腐化と建物の老朽化が建替えの最大の理由。

インタビューのポイント②

一度頓挫していた計画が、7~8年の空白を経て再始動。

インタビューのポイント③

元理事長の努力が建替えの大きな原動力に。

建替えの概要

旧野毛山住宅の竣工は、今回の4 団地では最も古い昭和31 年で、日本住宅公団がその最初期に建てた5棟・120戸の団地でした。JR桜木町駅から徒歩7、8分の高台、明治時代の豪商・平沼専蔵の別邸跡という由緒ある立地で、建替えに当たって保存された敷地周囲の石積みの擁壁は横浜市の文化財に指定されています。横浜市では初のマンション建替法組合施工によるマンション建替えで、再建マンションの竣工は国領と同じく平成20年です。

2棟あった従前のスター型住棟

2棟あった従前のスター型住棟

竣工したアトラス野毛山メインエントランス

竣工したアトラス野毛山メインエントランス

建替え検討のきっかけ

好立地にも関わらず、再建前、ほぼ半分が空になっていた。

野毛山住宅では、区分所有者ご本人が住まわれていた割合はどれくらいだったのでしょうか

野毛山でも、区分所有者本人が住んでいた住戸はずいぶん少なかったと思います。社宅になっていた住戸が全部空室になっていたこともありますが、建替え時点ではほぼ半分が空室になっていましたね。
 一度建替え計画が頓挫した後は、転売しちゃった人も結構いましたので、区分所有者本人が住んでいたというのは、もう20%いるかいないかだと思いますけどね。

野毛山はとても場所がよかったと思うのですけど。
半分ぐらい空いていたというのは、どうしてなのでしょう

建築当初は公団の方でメンテナンスもしてもらっていたんです。ところが、途中から自分たちでやろうなんていう機運になって自主管理になりました。みんなが若いうちはそれでもよかったんですが、高齢化や外部居住が進むとだんだん難しくなってきちゃいましてね。最後はほとんど手入れがされていませんでした。昭和31年竣工ですから、間取りや設備も時代に合わなくなっていましたし、5階建だったんですけど、5階の部屋では雨漏りなんてこともありました。貸したくても物理的に難しかったというのが大きな理由じゃないですか。立地はすごくいいところなんで、部屋がちゃんとしていれば貸せたと思いますよ。

野毛山住宅の大久保さん

再建後、新しい住戸を取得した方は半数ほどに留まる

では、再建後の建物を取得した方の割合はいかがでしょうか。

住んだり貸したりを含めて再取得の割合は半分くらいです。

それは、元々お住まいになっていた方が少なかったからでしょうか

そうですね。私の場合も野毛山住宅を買ったのは父で私は2代目になりますけど、それが60歳とかになるわけで、私も含めて多くの方が別の場所に住む家を持っていましたので、改めて野毛山に住もう、住まなきゃいけなかったっていう人は、むしろ少なかったということだと思います。

いったん出たけれど、生まれ育った野毛山に帰ってきたケースは

いらっしゃいましたよ、やっぱり新しくなったことと、エレベーターがあることが大きな理由ですかね。前はエレベーターがなかったんでね。そんな方からは「大久保さんは帰って来ないの?」なんて言われたりしました。

やっぱり自分が生まれ育ったところだという意識が

そうですね。それ以外にも、野毛山は横浜の中でもいいところだという意識が、強かったですよね。昔は有名な人が部屋を持っていたりもしましたし、条件が合えば戻りたい、と考えた人は相当いたと思うんですよ。ただ、実際に今住んでいるところから引っ越すとなると、その思い切りは大変だったんじゃないかな。

私たちの経験の中でも、いったん外部に出て、そこでいろいろなネットワークができると、マンションが再建されても戻らないというケースが多いですね

でも一方で、「あんな坂のところ住めるか。」なんて言ったけど、帰ってきた人もいますよ。(笑)

お金もらって転出し、別の投資案件を買われたような方は

部屋を賃貸していた人自体が少ないので、そういう人はあまり多くなかったと思いますね。取得してすぐ売ったっていう人はいましたけれども。そういう人は、いったん取得してから、次のことを考えたんじゃないかと思いますけどね。

すべてが古くなって、建替えるしか道はないかと。

大久保さん、先ほど雨漏りを始め老朽化が著しかったというお話がございましたが、やはり建替えの最大の理由はそこだったのでしょうか

間取りや設備の陳腐化と建物の老朽化、やっぱり両方でしたね。基本的な間取りは6帖、4帖半、台所、バス、トイレっていう感じだったんですけれども、それで36㎡だったかな。すごく狭いんですね。天井も低くて。「これをどんなに修繕して、立派にしても住む人はいないんじゃないか。」と感じていました。その上、老朽化が著しくて、実際問題として、住める状態じゃなかった住戸が相当数ありました。

野毛山住宅の建築当時から高度成長を経て、日本人の住宅に対する要望も高くなりましたからね。もうひとつ、耐震性という問題がありますけれど、その点はいかがでしたか

建替えずに、耐震補強するという手もありますね。でも、野毛山の場合、耐震補強にお金かけても、部屋自体にもう商品価値がないので、正直、無駄だと思いましたね。

建替え決議までの検討について

一度頓挫していた計画が7〜8年の空白を経て再始動

野毛山住宅、池尻団地についても、建替えの検討についてお話を聞いていきたいと思います。まず、大久保さん、野毛山の場合、建替えの検討にはどれくらいの期間がかかったのでしょうか

確か、平成4、5年頃だったと思うんですけど、野毛山でも一度建替えの話が具体化したんですよ。設計図までできている段階でしたが、ごく少数の人の強烈な反対にあって頓挫してしまいました。当時は区分所有法の改正前で、実質的に全員賛成じゃないと進められなかったんですね。反対された方の理由についてはよく知りませんが、とにかく強硬な反対だったようです。
その後も、野毛山の場合、管理組合に区分所有者と賃借人の両方が入っていたので※、建替えについては意見が合わなくてね。人数的には賃借人の方が多いですから、管理組合として建替えの検討が始まらない状況でした。そんなことがつづいている間に、たまたま理事長をやられていた方が、個人的に建替えについて検討されていまして、旭化成さんの講演会に行って、「こういうことができるらしいよ、検討してみないか。」ということを提案されたんですね。最初に頓挫してから、7〜8年は経っていたんじゃないかな。
それをきっかけに建替えについてみんなで話し合うようになりました。そこからは、建替検討員会の設立などスムーズに話が進み出しました。もちろん、反対される方は相変わらずいましたけれど、以前と違って80%の賛成があれば進められるようになったことが大きかったですね。
※最初の建替え計画の頓挫後に区分所有者の転出がつづいた野毛山住宅では、区分所有者だけでの管理組合運営が困難になり、賃借人の方も含めた管理組合という、通常ではあり得ない体制になっていました。そのため、建替えの検討は管理組合からは独立した、有志の区分所有者による「建替え検討委員会」が主体となりました。

元理事長の努力が建替えの大きな原動力に

再スタート後の建替え検討にあたって、何か問題となったことはありましたでしょうか

計画が中断するような大きな問題はなかったですね。建替え決議後にだれがどこの住戸に入るかということでの議論はありましたけれど、計画そのものを見直そうなんて意見はなかったです。でも、お話したような理由で、管理組合や理事会としては建替えの検討に積極的に取り組めなかったので、元理事長の方お一人に負担がかかってしまったことは申し訳なかったと思っています。

先ほど、お一人で検討されていた方が、たまたま私どものシンポジウムにこられてというお話がありましたけれど、弊社を選んでいただいた理由は?

その方からは旭化成さんのサポートを受けることが提案されました。もちろん、選定にあたってはいろいろ議論を重ねましたよ。でも旭化成さんを選んで、ステップごとに丁寧にアドバイスしてくれましたし、リードもしていただけて、結果的にはよかったと思っています。