野毛山住宅理事同会~築10年を経て~

日時

2018年7月18日(水)

場所

アトラス野毛山 集会室

研究員:本日は猛暑の中、座談会にお集りいただきましてありがとうございます。
初めに私からご挨拶させていただきます。旭化成不動産レジデンス マンション建替え研究所では、建替えを検討している管理組合様向けに、セミナーの開催や、建替えに関する冊子の作成、建替えの勉強会などを行っています。その中でも、野毛山住宅の皆さんのように建替えを無事に成功された方の体験談は、建替えを検討している皆様にとってはとても貴重なお話になりますので、今回は、竣工10年目の節目として座談会というかたちでお集まりいただいた次第です。 お配りした項目に沿ってお話を伺っていきますので、忌憚なくお話しいただければと思います。

大木:本日は暑い中をお集まりいただきまして、ありがとうございます。早いもので野毛山住宅の建替え工事が完成してから10年ということで、本当にひと昔経ってしまったなという感じがしています。当時、私どもでは野毛山住宅が5件目のマンション建替えの事例でしたが、今では31件になりました。8月に熊本市の被災マンションの建替え決議がありますので、そちらが32件目となります。世の中、これから老朽化マンションをどうするかという本格的な議論が始まってくると思いますので、今日の皆様のお話は貴重な資料になると思います。忌憚のないご意見を伺っていきたいと思います。

研究員:もう一人、野毛山のプロジェクトリーダーを務めた今井も参加いたします。

今井:皆様お久しぶりです。その節は大変お世話になりました。本日はよろしくお願いいたします。

野毛山を取得された経緯
現在のアトラス野毛山のご使用方法

研究員:まず皆様にご質問が二つあります。一つ目は野毛山を取得された経緯です。ご相続なのか、購入されたのか。二つ目は、現在アトラス野毛山をどのように使っていらっしゃるのかについてもお知らせください。それではS様からお願いします。

S様:皆さんお久しぶりです。どうやって取得したのかということですが、親父から息子の私が引き継ぎました。結婚してすぐにここで生活を始めました。それからずっと所有していました。

研究員:いまアトラス野毛山はどのようにお使いですか?

S様:建替えで手放すつもりはなかったけれど、別に住まいもあったものですから、アトラス野毛山は貸しています。

研究員:いま貸していらっしゃるのですね。

S様:はい。貸すことについては最初だいぶ苦労して、いろいろ調べたりしてやっていましたが、最近はうまくいっています。賃貸にしていますが、組合の総会には毎年来ています。

研究員:ありがとうございます。では建替組合の理事長でいらしたO様、お願いします。

O様:本当にご無沙汰しています。野毛山住宅は父が買いました。我が家は4人兄弟でしたから住むところがどんどん手狭になって、当時、新築の公団住宅ができるっていうので買いました。6人家族だったので5号棟に2軒買って住んでいました。1軒目は最初に買いまして、もう1軒は途中で買ったという経緯です。僕は4人兄弟だと言いましたが、野毛山の権利は2人の姉妹にそれぞれ1軒ずつ遺産相続させる予定だったのですが、母から「遺産相続できるように価値のあるものにしてほしい。」と言われまして、その相続のために僕が建替えを手伝ったという経緯です。いまのアトラス野毛山は1軒は姉の息子が住んでいて、妹のほうは借家にしていると思います。

研究員:E様、お願いします。

E様:入手の経緯ですが、野毛山住宅が最初に分譲されたのは昭和31年でした。住宅公団が最初に募集した時の条件が、当時で月収6万円以上となっていましたが、そのハードルが高くて売れ残っていまして、1年たったら月収の条件が4万円以上に下がったのです。親父が戦死していますので母が働いていて。遺族年金と、母の給料で何とか4万円ならばクリアできるということで買ったのです。私はその時、中学校の2年生かな。5階でしたが、できた当初は窓のサッシが木製でした。途中でアルミに変わりましたが、そのきっかけをつくったのは当時の区分所有者だったN社さんです。

研究員:N社さんはかなりの戸数を所有されていましたものね。

E様:N公団も多く所有していましたね。私は相続でしたが、建替えの工事が始まる前に生前贈与ということで手続きをしました。私がここに住んでいる間は、お前に任せるからと母が言っていましたので、自分の名義になる前から管理とかそういうところも関わっていたのです。

研究員:アトラス野毛山はどのように使われていますか?

E様:今は賃貸に出しています。

研究員:Y様、お待たせしました。

Y様:私はお金をこつこつ貯めて買いました。
最初は5号棟の1階を紹介されて借りて住んでいたのですが、そこのオーナーさんから買わないかと持ち掛けられて、買うことになりました。

研究員:今もアトラス野毛山の3階に住んでいらっしゃるんですよね。

Y様:はい、住んでいます。風通しがよくて快適ですよ。

研究員:I様、お願いします。。

I様:私が野毛山住宅を取得したのは昭和46年か7年か、私が26歳ぐらいの時です。なぜ取得したかというと、この下の野毛というところでお店をやっていたのです。1階がお店で、裏が居間で、2階が祖父母、私の部屋は勉強部屋ということで後からつくってもらって弟と使っていました。そして結婚する時に住まいをどうしようかと思っていた時にに、母が懇意にしている方が2号棟に住んでいまして、その方から家を手放したいから買わないかって言われて、思い切って買ってしまいました。それからちょっと経ってから結婚して、こちらに住んだわけです。ずっと住んでいたけれど、建替える10年ぐらい前かな、祖父がだんだん年を取ってきたので住まいを取り換えようという話になって。それで、交換して10年間ぐらいは、私がときどきこちらに泊まりに来てということをやっていました。今の建替えの前にも建替えについていろいろな話がありまして、その時は役員になりました。そうしたらその建替えの話が没になってしまって、それからしばらくしてまた建替える話が出て、これはいいなと思って再取得し、娘と2人の共有で買いまして、アトラス野毛山には娘が住んでいます。

研究員:ありがとうございました。ご本人が住んでいる方、貸していらっしゃる方、ご家族が住んでいらっしゃる方、ご親戚が住んでいる方、様々ですね。いまI様からお話がありましたが、建替えの当初から竣工まで野毛山住宅は長期に渡りいろいろと検討されていらっしゃいます。資料に年表を作っていますので振り返ってみたいと思います。

建替えの当初から竣工までを振り返ってみましょう

昭和31年に野毛山住宅が分譲されました。
平成16年に有志の会ができた時は築48年でした。
平成16年に旭化成を事業パートナーとして選定いただきましてから、建替え決議を経て、建替組合が認可され、平成19年4月解体工事に着手、この年は築51年目でした。
そして平成20年9月にアトラス野毛山が竣工しまして、今年で10年を迎えることになりました。振り返ってみますと、皆様にご参加いただいた理事会も、平成16年から20年までの4年間で、建替え委員会の時から合わせますと延べ98回、監査などもいれると100回を超えています。建替えの進捗状況を区分所有者の皆様にお知らせする「建替え速報」も39号発行いたしました。そのほか、野毛山住宅建替え事業は、横浜市のマンション建替法による建替えの第1号となりました。また、横浜市の歴史的建造物(亀甲石積擁壁と煉瓦塀)認定も受けました。竣工後の平成21年に第54回神奈川建築コンクールに入賞し、同年にグッドデザイン賞も受賞しております。このように歴史に残るプロジェクトを皆様とご一緒に実現したわけです。私どもが事業協力者として選定される前から建替えの話があって、1度頓挫したということでしたが、建替え実現までの20年近い期間で印象に残っていること、これがよかったなとか、あれが大変だったなということがありましたら、お1人一つずつお話しいただけないでしょうか。

建替え前の野毛山住宅

竣工までに印象に残った出来事

I様:最初は高い建物を建てるということでしたよね。駅側のほうから擁壁にトンネルを造るとかでしたが、私はいやだなと思いました。マンションというと高い建物を建ててという考えが流行していましたが、私はああいうのは気に入らなかった。いまアトラス野毛山は6階建てですね、これがいいなと思った。このぐらいが住み易いなと。

研究員:高層の計画から6階になった経緯を教えてください。

今井:最初はI様がおっしゃったように、少しでも経済的なご負担を軽くするには、高層住宅にすることで、規模をより拡大した方が、負担が減らせるのではないかということで、横浜市の環境設計制度という、容積率といいますが、建物を建てる規模のボーナスがもらえる特例の設計制度を使ったほうがいいのではないかという話がありました。ただ、横浜市といろいろ話をしたのですが、「公開空地」と言いまして道路に面したところに誰もが使える空地をつくって、環境に寄与することで容積率を緩和してもらうという制度だったので、石垣があることがネックになってしまったのです。こちらとしては道路と段差がある空地をつくって、環境設計制度を適用してくれという話をしたのですが、それではだめだという結論でした。環境設計制度を利用するためには、石垣を壊して、土地をすき取って、道路と同じレベルの空地をつくる必要がありました。いろいろ検討して皆様ともご相談した結果、石積みを壊して土地をすき取る工事の費用が高く、環境設計制度を利用して規模を増やしても皆様のご負担が軽くはならない。それと皆様から石積みを壊すのはやめたほうがいいのではないかというご意見が多く寄せられました。せっかく歴史的なものが残っているのだから、これは生かそうというお話を強くいただいた結果、今のような計画で行きましょうというご相談をさせていただいた記憶があります。

O様:僕が印象に残っているのは何かというと、石垣を残すとか、灯籠を残すとか、ああいう話に盛り上がりましたね。ただ単に家が住めなくなったから建替えるとか財産価値が増えるだけではなくて、ずっと住んでいたところだし、平沼さんの跡地※だしということで、皆さん、大切にしていたというのが印象にあります。
※横浜銀行の創始者である平沼専蔵氏の別邸跡地

I様:入口に灯籠があって、池があって、風情があってよかったよね。

O様:赤いレンガ塀もいいでしょう。ああいうものにすごく価値を感じていた。みんなそうだったということが印象に残っています。

I様:私も高い建物はいやだと思った。

E様:それにしても野毛山住宅は狭すぎた。それから、私はマンションというと野毛山住宅のイメージがあって、夏は暑くて、冬は寒いというイメージでしたが、実際には、冷房、暖房とか断熱材もあるしイメージとは違いました。
私も、建替えるからといってもあの塀は絶対壊してはいけないと思いました。うまく補助金とかを使って何とか残していけないかと思いましたね。

研究員:建替え決議時点で、区分所有者で住んでいた方は20人ぐらい、借家人を入れても実際に住んでいた方は50人ぐらいしかいなくて、ほとんどは空き家でした。それでも擁壁や煉瓦塀などを残したいという思いがあったのは、昔から所有していらっしゃって、嘗てここに住んでいた愛着があったからということなのですね。残せてよかったですよね。

アトラス野毛山

灯籠

O様:それはすごく大きかった。擁壁を壊して、ただ単に高い建物を造ろうとか、売り払ってしまおうとか、そういうふうにはならなかったですね。

E様:建替えの検討当初から竣工までの間の印象に残った出来事というと、日本住宅公団の管理会社との契約を解除してしまったこと。それがまず一つ大きな問題でした。

研究員:そこから自主管理に切り替えたわけですね。

E様:そうです。当時の理事長さんが契約をやめようと言ってやめてしまったのです。それから修繕とか手入れが行き届かなくになってしまった。それまでは屋根の防水とかも何回かやっているし、いろいろな補修をやっていたのですけどね。

研究員:契約を解除したのはいつですか。

E様:昭和30何年か、区分所有法が成立する前か、成立してすぐか、法律で管理組合をつくらなければいけないということになったころです。区分所有法が成立したのが昭和38年4月1日ですが、その後もある法人が、所有していた隣同士の2戸を1戸に改造してしまったり、いろいろなことがありましてね。そんなことしたら今だったら大変な問題だけど。

E様:隣り合わせの10戸を5戸に。狭いからって2戸を1戸にしてしまったのですね。3号棟の一番東側の10戸で、階段の踊り場の裏のところ、風呂場のほうをぶち抜いた。右と左の家を中から行き来できるようにしてしまったのです。そういう勝手な改造をやってしまった。その後もいろいろなことがあって、きちんと修繕ができない状態になり、老朽化が進行したのです。そこで建替えようということになって、Sさんが中心になって事業協力者コンペまでやったのです。そのコンペの時に石積みを全部崩して高層住宅を建てようというプレゼンテーションをしたのがT建設でした。だけど、それをみんながだめだと言ってね。その後はM社にお願いしようということになり、建替え決議をしたのですが120戸のうち5戸が反対したのですが、その頃は、決議が成立しても実際には全員同意じゃないと建替えができなかったので、あきらめようということになりました。その後、阪神・淡路大震災が発生して、区分所有法が改正されて、建替えの新法(マンション建替法)ができて、これならばできるということになりました。 その時に理事長をされていたのがKさんです。Kさんは戸塚にご自宅を持っていたので野毛山住宅は事務所として使っていました。 Kさんが購入した野毛山住宅の部屋は老朽化が著しくガスも使えない状態で、このままではいけない、建替えが必要だということで、いろいろと勉強をされて、旭化成の建替えセミナーを聞きにいってくださいました。Kさんが中心になって今回の建替え話が始まったわけですが、実際には、その前に約10年間、案外早い時期からみんな一生懸命建替えようとしていたのです。

E様:最初の建替えの時にも、やろう、やろうと言って一生懸命やって、何名かの反対でだめになって、がっくりして、それがKさんのお陰で、また新しくやっていこうということになって。

S様:でも、今に思うと最初の時にやらないでよかったと思っていますよ。

I様:結果的にはそうですよね。

O様:でも、あの時に一度建替えようというのがあったから、その後、法律も変わって建替えができそうだとなったけど、そこでも反対はあったね。

E様:建替え決議が5分の4の賛成でできるようになるということがわかったから我々は建替えを実現したかった。最初の建替え決議の時には、120戸のうちの5戸だけが反対で、本当に少ないけれど、それでも建替えを実現できなかったので。その後、旭化成に決まってから、反対していた住民の説得をしてくださったことがすごく印象に残っています。

S様:何といっても旭化成さんにはお世話になりました。

E様:いま建替えの問題があちこちに出てきているし、今朝もTVでやっていたけど、古くなったマンションが、長期修繕計画の修繕積立金が足りないから、管理組合で事業を始めてその収益を修繕金に充てるという事例が出てきたと。税務署があれを見たら、最後には事業だからといって税金納めることになると思うけれど、そういうことまで考えるマンションが増えてきていますよね。

大木:こちらの建替えをしたのは、解体時点で築51年、当社が事業協力者として参画したのは築48年でした。マンションの大量供給が始まったのが1970年頃からです。1970年に造られたマンションが今年で築48年です。1970年の全国のマンションストックというのは全国で13万3000戸しかないのですが、その年の1年間で5万2000戸供給されていますから、これから我々が参画したころの野毛山住宅のような築年数のマンションが毎年5万戸から10万戸ずつ増えていくということです。

E様:国土交通省の人が来て講演会をやったのを聴いたのですが、これからの問題というのは、絶対的に人口が少なくなっていくことははっきりしていて、家は必要なくなってくるわけです。

大木:容積率が余っているので、500戸のマンションを1500戸にすることが必ずしも正解ではなく、郊外の団地ですと、新規の需要が見込めないということで、マンションの土地を一部売って必要な戸数だけ建てるというような建替えも出始めています。

E様:一昨年に出た『マンション格差』という本があります。これにも書いてありますが、千葉で、駅まで15分、90平方メートルぐらいのマンションを買った人。それから世田谷で、狭いけれど駅のすぐ近くで同じ時期に買った人がいた。それぞれ約3700万円で手に入れたが、世田谷のマンションは建替えをして、高く売れそんなに損をしなかったけれど、千葉の方はいま手放すと800万円ぐらいにしかならないというのです。まさに地域によって建替えの際の条件の差がはっきりしています。そこに気づきなさいと書いてありました。

O様:このマンションの価値は下がっていないでしょう。

E様:今のところはね。横浜市でいまマンションが一番高く売れるのは桜木町と石川町から徒歩数分のところです。だから、その場所に高層マンションをバンバン建てて売れている。 でも、これから先を考えるとそれが必ずしも良いか悪いかよくわからない。それから、横浜市はいま40都道府県のうち、外国人で住民登録をしている人が日本で一番多いところなのです。

I様:うちの周りは年中、外国語ですよ(笑)。

E様:昔から中華街があるし、今は東南アジアの人がたくさん入ってきているでしょう。例えば東京の新しい高層マンションでも外国人で買う人がかなりいて、実際に住宅管理組合の総会を開けないところもあるらしいです。

O様:僕はいま山下町のマンションに住んでいるけど、外国の方が入ってきたから輪番制で役員ができなくなってしまっています。

大木:外国人でも区分所有者本人が住んでいらっしゃるケースはいいのですが、投資案件で海外の方が日本のマンションを買いますよね。ところが住所が変わったとしても移転登記などはしないので、連絡先がわからなくなってしまうケースがあるわけです。法律で、外国人で、投資案件で買った人には保証人を付けろというようなことはなかなかできない。けれど、管理組合として不在外国人区分所有者をどうするかというのは、これから大きな問題になるのではないかと思っています。

研究員:建替え前の野毛山住宅にも相続登記をしていない住戸もあって、真の所有者の特定に時間がかかったり、外国に行ってしまっているとかの、問題がありました。

E様:あった、あった。でも、一番大変だったのは家族間で揉めていたところだろう。

今井:誰が所有者かというだけの問題以外に、本当の所有者は誰かというのがなかなか大変な問題でした。

O様:結局は全員わかったのですか。

今井:判明しましたが、札幌にいらっしゃったり、オーストラリアにいらっしゃったり、いろいろありました。

研究員:法定相続とおりに相続したことによって所有者が7、8人になってしまったとか、そういうケースもありました。

今井:個人的なことで申し訳ないですけれど、野毛山住宅を担当させていただいたく以前に、私は江戸川アパートメントの建替えに参加していました。その後、府中で民間マンションの建替えを責任者でやらせてもらい、その後、こちらをやらせていただいたのです。それから今に至るまで3件の建替えを実現していまして、 いま1件、建替え決議に向かって進んでいるプロジェクトを担当させていただいています。野毛山住宅で皆様とご一緒した時、今日おいでの皆さん以外にも先ほどお話に出たK様や、建替え委員だったT様さんとかY様とか野毛山を何とかしようという思いを強く持った皆様に大変お世話になって、いろいろ教えていただきました。当時は至らないところも結構あったのではないかと思いますが、野毛山住宅以降に担当したプロジェクトでいろいろな問題が起きても、野毛山住宅での経験を、一つの指針とさせていただいていることを非常にありがたいと思っています。野毛山住宅の建替えでは皆さんとかなり密に、しっかり入り込んでやらせていただいたというのが私にとってはすごく糧になっています。

研究員:ありがとうございます。私は、思い出深い皆さんにお会いできるというので、昨夜は遠足に行く前の日みたいにうれしくて眠れなかったのです。(笑)。

I様:野毛山住宅を建替えて、ここは建替えのモデルになったのです。近所のH団地もそうでしょう、建替えてきれいになったし。

E様:あれもきれいに変わったよね。

新しいマンションでの暮らし

研究員:それでは、ここからは新しくできたマンションについてお尋ねします。Y様は住んでいらっしゃるし、貸していらっしゃる方でも総会などには出席しているということですから、マンション全体のつくりや部屋の間取りについてお聞かせください。他にも、共用部に残した灯籠とか、先ほど皆様と写真を撮った石造りの橋とか、裏に井戸もありましたよね。印象はいかがですか?

Y様:井戸は何かあった時には助かりますよね。

研究員:灯籠などを残しましたが、マンション全体の雰囲気としてはどうなのでしょう。

O様:すごくいいと思う。残してよかったと思いますね。
今日、久しぶりにヒラヌマガーデンに入ったけど、緑が育ってきれいにつくってあるなと思いましたね。

Y様:野毛山住宅の人は灯篭を懐かしんでいるけど、入居が始まって最初のころは珍しがって 子供達が登ったりしていましたね。

I様:屋上庭園は利用していますか。

Y様:お花見や花火大会の日に皆さんで集まって楽しくやっています。

研究員:全体の建物のつくり方とか、いかがでしょう。

I様:私は外壁の色を決める時に理事会を欠席していたので、初め見た時になんだこれは!って思いました。他のマンションを見るともう少し明るい色が多いでしょ。茶色だし、合うのかなと思っていたけれど、時間が経ってだんだんよくなってきましたよね。

E様:設計会社の人がこの色がいいって熱心に説明してくれたのです。白にしようかということも相当検討しましたが、この色がいい色だって落ち着いたのです。

I様:時間の経過とともにだんだん落ち着いてきた。

E様:そうそう、そういうことも考えていたんです。ここはとにかく土地がいいから。駅からきて交差点から見上げるような感じでしょ。

研究員:アトラス野毛山の管理組合についてお尋ねします。理事さんが輪番制ですか、1年ごとですか。

E様:2年任期の、半数交代。みんなが一度に代わってしまわないように最初からそうしたんです。

研究員:最初に管理組合を立ち上げた時、建替組合の皆さんが音頭をとってという感じですか。

E様:ええ、最初はね。そうでしたね。

Y様:最初はやる人がいなくてね。私も理事をやりました。

E様:第1期は僕がやって、続いてもう1年やりました。
いま管理組合は高齢化が進んで、いろいろなことで管理組合自体が成り立たなくなっているところがたくさんあります。その立て直しをどうやったらできるかということが一つの問題だと僕は思っています。その時には問題に取り組む仲間集めをしなければならないのです。そういうふうになってしまったところを再生するには、仲間集めの方法から伝授しないとできないのではないかと見ています。

O様:野毛山住宅の時は自治会とか、いろいろな活動をしていたじゃないですか。ああいうのはなくなってしまったのですか。

E様:自治会は今でもあってしっかり活動しています。

研究員:自治会では花火大会とか食事会とか企画されているようですね。

E様:色々やっています。ここの町内会はお金がちゃんとあるし、ときたまお金が余れば自治会のほうにテントを買えとか何とか、災害対策のトイレとか、この10年間でいろいろなことをやっています。

研究員:自治会長さんは旧野毛山住宅の方ですか?

E様:そう、Mさんがずっとやっている。管理組合のほうはメンバーが代わってしまうけど、 自治会はしっかりしている。

O様:自治会は野毛山住宅時代から伝統がありました。生活に関わるような事はどうしようかな?というのを話し合って自主的に解決していくという感じもあった。

E様:コミュニティづくりはうまくいっていると思う。

Y様:みんなで楽しくお花見とかやっています。そういう時には昔の野毛山住宅の人と会えるの。いろんな人が来てみんなで楽しくやっていますよ。そうはいっても皆さん高齢になってきていますが。(笑)

研究員:野毛山住宅ではご相続などがあって2代目でしたり、お子さんが住んでいれば3代目と引き継がれてきて、皆さんにとってはここがふるさとですから、建替えをしたというのは貴重なことですよね。

O様:建替えを経験したのは貴重なことです。20年、30年で絆ができてしまっているから、出ていく人もいたけれど、全員がつながるのではないかな。

I様:これからもつながっていってもらうといいよね。

O様:そうでないと、何のためにこの石積みを残すのか、灯籠なんていらないということになってしまう。

研究員:ここからは自宅で使っていらっしゃるY様にお話を伺いたいと思います。住んでいらっしゃって、建替え前と比べて住み心地はどうですか。

Y様:ここはいいです。静かで助かっています。

研究員:私がご自宅に伺った時には夏でもエアコンをつけない。とおっしゃっていましたね。Y様のお部屋はバルコニーが図書館側だから玄関を開けると風が通って、すごい風通しがよかったことが印象的でした。

Y様:人が入ってくるといけないからドアをオープンにはできないけど。ほんの少し開けるだけです~っと風が通るから気持ちいいのよ。

E様:たしかに昔はクーラーなんかつけないで、野毛山住宅の人はみんな窓を開けていた。

Y様:開けっ放しでしたよね。

E様:昔から開けておくのは平気だった。団地の公園で外の子供がブランコで遊んでいたりして。そのぐらいみんなフリーだった。

研究員:ところで、建替えが終わってご家族の中に変化はありましたか。Y様、いかがですか?

Y様:住まいが新しくなって、幸せに暮らしています(笑)。

E様:ゴミ出しについては、その日の朝でなくいつでも捨てられるということですから、やはりああいうスペースがあるということですごく助かると思います。

I様:ここは綺麗に掃除されてるよね。管理人さんが大勢いるし、きちんと分別してあるじゃない。

建替えを終えて・・・

研究員:ありがとうございました。それでは、次の質問ですが、建替えが終わって10年経ちました。建替えてよかったなと感じていらっしゃることがあれば、教えていただけますか。

S様:少なくとも知っている方がずっと住んでいらっしゃるというのは良いですよね。

E様:僕は建替えを機にアトラス野毛山に戻ってきた80代の奥さんに、3.11の震災後に「早く建替えて良かった。あの日はコップの中の水も全然、何でもなかったんです、本当に助かりましたって。」ってお礼を言われました。本当に良かったって何度も言ってくれました。

研究員:あれだけの地震があっても家は大丈夫だったということですね。

E様:僕は当日たまたま鎌倉の老人ホームにいたんです。あれは午後の2時か2時半ごろだったと思いますが、パッと見たら電線がしなっていて揺れているんだもの。停電になってね。老人ホームの調理場が地下みたいな所にあって、ガスは止まらなかったけど停電してしまって、夕飯を作るのに、さてどうしましょう。って大変でした。

研究員:S様、地震の時は?

S様:私は家にいました。3.11の次は直下地震がくるって言われているでしょ。
でも、ここはものすごくいい地盤ですから、ここだけはうまくいったら停電もしないで済むのではないかという気がしています。でも、色々考えなければいけないですね。もし地震になった時、子供たちは外にいるはずだから、帰ってきて階段が上がれるか。そういう事を管理組合で事前に検討しておかないといけないでしょう。

I様:私たちは野毛山を下ったところに住んでいるのですが、万が一の時どこに逃げるのかといったら、とにかく野毛山へ逃げます。ここは坂の上だし津波は来ないはずですよ。

研究員:地震の時、建物の中は大丈夫だったのですか。

I様:私の部屋は何でもなかった。何かがちょっと倒れたぐらいで。

研究員:もし建替え前の野毛山住宅に3.11が来て、部屋の中のものが倒れたら場合は自分だけの事ですが、外壁などが落ちてしまって他人に怪我をさせたりしたら大変でしたよね。

O様:昔の建物でやられていたら、あちこちからコンクリートの塊が落ちていたのではないかな。

I様:そうですよ、あの頃は屋上などひびがあったから。

E様:span>地震でもないのにベランダが欠けて落ちたこともあったよね。

研究員:O様、建替えができてよかったということは何かありますか。

O様:ここは結果的に自分で住むわけではなく、相続で甥や姪に残せるようにとそのために建替えを推進しましたが、無事に引き継ぐことができてよかったと思っています。

研究員:I様、Y様は住んでおられて、建替えて良かったなと感じる時はどんな時ですか。

I様:綺麗な建物になって、娘の住む家が出来て良かったなと思っています。野毛山住宅だったら、あれをずっと持っていたらどうなってしまったかなと思いますね。

Y様:私は昔、5号棟の1階だから、外から歩いてくる人が見えてね。今は3階に住んでいるでしょう。風通しはいいし、エアコンいらないくらいよ。

I様:マンションが出来た時にうちの母が、ベランダからの景色も綺麗に見えるし、野毛山には周りに木があるから、すごく良いね、私も住みたいって言って喜んでいました。我々が住んでいた時はコンクリートで無機質な感じだったんです。今は緑があるのが本当に良くて、それも良かった。

事業協力者としての旭化成について

研究員:確かにマンションの敷地内にも緑を多く入れたのも10年経って若木が育ち、とても良い雰囲気に育ってきましたね。5番目の質問です。私どもをコンペで選んでいただいて長いお付き合いをさせていただきましたが、旭化成でよかったなと思っていただけた事、あるいは、もっとこんな事もして欲しかったなとか、こんな事をしてくれて思い出に残ったとか、改善した方が良いなと思った点がありましたら、忌憚のないご意見をお願いします。

研究員:I様からお願いします。

I様:綺麗になったし、景色もよくなったし、スーパーも近くになって便利だし、それから外観も外壁の色も良かったです。

Y様:みんな良かった。私の部屋は階段の近くだから避難するにも安心です。

E様:僕は旭化成さんの経験の差を感じました。江戸川アパートのビデオを貰ったけど、そこでの経験がここに活きたと思いますよ。反対者に対する説得とかそういうところは経験がすごいなと。当時、他のデベロッパーさんはそこまでの力が無かったのではと思います。それとKさんが良くやってくれました。
Kさんは最後の管理組合の理事長だったから、管理組合が解散してから5年間書類を全部保管していたんです。

O様旭化成さんと一緒にやって良かった点は、きめの細かさだろうね。スケジュール管理もしっかりしていたし、何事も理事会のほうに前もって説明してくれていました。それから組合員一人ひとりの悩みにも親身に相談に乗ってくれて、何度も何度も足を運んでくれて、一人ひとりへの対応もしっかりしていたと思う。全般として、建替え委員会から始まった建替組合の理事会を合計98回やったけれども、きめ細かくやってくれたから98回で済んだのではないかと思いますよ(笑)。スケジュール通りにちゃんと終わったし、立ち止まってしまったということがないもの。
色々な人がいたけれど、起こる問題もその都度解決してくれて、それなりのところに収まったということができていったから、非常に良かったのではと思います。
それと、ここが成功したモデルケースだというけれど、建替えなければいけないという全員の意思がしっかりしていたということがあったと思います。それと同時に中心になる人たちがいて、リーダー層もしっかりしていた。これからそれをつくっていくということですよね。ただ、リーダーだけで旗を振っても出来ないし、みんなに野毛山住宅を後世に残そうみたいな、核となるようなイメージがあったから、ここは成功したのだと思います。建替えは、権利を売ってお金で貰うこともできるし、部屋を取ることもできる、シンプルに選択ができるから、そこまで含めて住民が舵取りをやらないといけないと思います。
残すということでは、野毛山住宅以外に僕もいろいろなところに住んで、新しいところは新しいところでいいけれど、何となく地域に対する思い入れみたいなものが軽いような気がしています。 建替えによって歴史を残し、培ってきた地域との交流を新しいそういうものをつくっていくということで、造り替えさせるというのは本当にいいプロジェクトだと思います。でも、いろいろな利害関係もあるし、たしかに難しい事業ですね。

研究員:S様、いかがでしょうか。

S様:本当に皆さんのおっしゃるとおりで、今日も2時間聞いていて感心のしっ放しです。すばらしい事は色々あります。こういう経験者がいっぱいいるという事もあるけれど、旭化成さんが期待されているような長期ビジョンを経営として、5年、10年ではなくて、どうやってひと桁、上へやってくれるんだろうということを個人としては期待を持っていました。 そういう意味で、日本の企業の中でちゃんと意志を持ってやっていって、それを続けられているというのは、実際にはできないですね。
旭化成さんとしてはここで仕事をされた以上、それを歴史的に維持する責任があるのではないかという気がしていますので、期待しています。

研究員:最後にO様、お願いします。

O様:僕は建替組合の時は理事会のまとめ役をやらせてもらいました。自分自身は先ほども言ったように戻って住むわけではないという事でしたが、皆さんと一緒に出来て、いい経験をさせてもらい、勉強になったという事が大きいです。コミュニティとはこういうものなんだということをある意味、知ったのです。それまでは家というものに対して、何となくホテルより安いからマンションに住むみたいな感じの使い方をしていましたが、生活があるんだ、仲間がいるんだということを体験できたのは大変ありがたい。それをうまく導いてくださった旭化成さんには本当に感謝しています。

研究員:皆様から貴重なお話を伺うことができました。本日は有難うございました。